Chikanism

現実と非現実のあいだ

シュガー・ラッシュ・オンラインを観てきました

エンディングで流れるイマジン・ドラゴンズのZero、とても好き。

 

まわりのIT業界の人や、ディズニー好きの妹にも「IT、ネット業界のひとは楽しめると思う」とずっと言われていて、それをやっと観に行ってきた。

シュガー・ラッシュの1のほうは観てなかったけど、話自体は問題なく楽しめた。ゲームセンターがインターネットに繋がってヴァネロペとラルフがオンラインに飛び込んだあたりで、「IT業界のひとは楽しめる」って言われた意味がわかった。

あと「ネット広告業界のひとは観たほうがいい」って言われてたのもすごくよくわかった。ネット広告業界で広告を出しながら自分でもわかっているけど、ネット広告ってうざい一面が多いんだよね。本当は「これ知れて良かった!」って広告でなるのが理想なんだけどな。

 

でも一番思ったのは、やっぱり他人を傷つけない・悲しませないって難しいんだなってことだった。

つい先日も書いたのだけど

www.chikanism.com

 相手が喜ぶことを考えるのって割と簡単だなと思っていて。この映画ではラルフが「ヴァネロペのために新しいコースを作ろう」って思ったり、「シュガー・ラッシュを救うためにインターネットでハンドルを探そう」って言ったり。

〇〇のために、って考えるのは楽しいというか、ある意味自分のためみたいなところもあるような気がする。相手の笑顔を見たいのは自分だし、喜んでくれたら嬉しいのも自分だ。

 

でもラルフは「ヴァネロペが自分のそばにずっといて欲しくて」、結局ヴァネロペが悲しむ選択をしてしまう。

これって自分の気持ちを優先しちゃって、これをしたら相手が悲しむかもってところまで想像できないからなのかなと。失ってから気づくとかよく言うけど、失うまで気づけないのも想像力が足りないからかなあ。

 

例えばやりたいことをやるために東京に出る、と言うと親が「そんなの絶対ダメ」と言うことがある。親は子どもを心配して、と思っているだろうけど、それで子どもの夢を摘むのは本当に相手のためんなんだろうか、ってなるのと似てる気がする。

 

このストーリーみたいに、少し想像力があれば、想像しようとさえしていれば、相手を悲しませずに済んだようなことってきっとたくさんある。思いやりとか優しさって想像力だなって思うし、やっぱり普段から相手のことを想像できるような人でいたい。

 

そんなことを考えつつ、ネット社会をよく現せていておもしろいな〜と思った。たまに映画観るのとても良いですね。

優しくすること、傷つけないこと

ちょっと悲しいことがあって泣いちゃった。2週間くらい前に課長に「そんなんだからやる気ないって思われちゃうんだよ」って言われたとき以来だから意外と頻繁に泣いてる。

誰かを喜ばせたいっていうのは割とよくあると思うんだけど、それって悲しくさせない・傷つけないことより簡単な気がして。喜ばせるためのなにかって考えるの楽しいし、大切な人が喜んでくれたら自分も嬉しいし、考えやすい。

誕生日に何あげたらよろこぶかなとか、手紙も用意しようか、いつものお礼にチョコでも買っていこうかな、そういえばお酒好きって言ってたしお土産に買おうかな。疲れてるだろうからこれは代わりにやっておこう、雨降るって言ってたから傘渡そうとか。

 

でも何をしたら傷つくか、悲しませるかって普段から考えてないし、例えば自分に余裕がないときに心無い言葉を言ってしまったとか、ちょっとキツイ言い方をしてしまったとか、なんかそういう些細なことで相手を傷つけてることってたくさんあると思って。

なのに、「傷ついた」「悲しかった」そういうことって相手からなかなか言われることがない。よほど仲良いとか心を許してるとかじゃないと怒ったり泣いたりって出来ない。少なくともわたしはそうだ。

それ悲しかった、嫌だった、腹がたった、そんなことほとんど言えなくて、ちょっと嫌な気持ちになったり落ち込んだり泣いたりして過ぎ去る。

 

そうやって自分も傷ついているのに、他人の痛みには気づかないまま過ごしているかもしれない。相手を傷つけない、悲しませないのって大切にすることだと思うし優しさだと思う。

わかりやすい優しさを差し出すのってある意味簡単だよ。わたしも得意だもん。

 

悲しい気持ちになったときは、少なくともわたしは、わたしの大切な人たちに同じような思いはさせたくないな、そのために気をつけようって思う。

美しくなりたい

美容院に行った。髪色を暗くしてもらって、ちょっと毛先を切って整えてもらって、トリートメントをしてもらった。初めて行って以来ずっと通っていたのだけど、家の隣に美容院ができてしまったので3ヶ月ぶりだった。担当さんは「3ヶ月どこ行ってたの、今日は他と違うってとこ見せないとまたどっか行っちゃうね」と笑って、小顔に見えるカットをしてくれた。「ちかさんに彼氏できたらいいな〜、できたら(僕のおかげだから)絶対うち通ってね」と言う。

 

美容院代1.5万円、高すぎることはないけど安いこともない。毎月通おうと思うと、小さな出費じゃない。他にもマツエク代、医療脱毛代、ジム代が毎月かかるし、お金も時間も手間もかけたって、全然理想にたどりつけない。

美容院で長時間鏡を見つめて、なんでこんなにパーツのない部分の面積が広いのか、2時間ほどたっぷり考えてみても答えはわからずぐったりとした。

 

去年は4月からジムに通い始めて週に2回は行くようにしていたのだけど、10月ころから気合を入れ直して週3〜4回を目標にした。ジムに行った日はswarmでチェックインするようにしたら、平均すると2日に1回は通えていた。予定のある日と休館日以外はほぼ行くようにした。

それが結果としてわかるほどになったかどうかは自分ではわからないが、たまに痩せたねと言ってくれるひとがいたので少しは変化があったんだろう。今年は数値目標として5キロ痩せてキープしたい。

 

脱毛に関してはお金を払って通いさえすれば毛はなくなるので、あと3回通うだけ。施術中はそれなりに痛いし、VIOもやっているので途中であられもない姿を晒すことになり「これを乗り越えた先になにがあるんだろう…涙」と泣きたくなる。

脱毛器の目へのダメージを防ぐためにアイマスクのようなものをされ、もはや素っ裸で開脚(に近い格好)をしている自分を想像すると耐え難い気持ちになるが、施術してくれている看護師さんはもう慣れっこだろうし、このさき一生会わないし大丈夫、と自分に言い聞かせる。しかも痛い。その甲斐があるのかないのかたまに「脱毛してるの?すべすべだね(要約)」といったことを言ってもらえることもあるけど、このすべすべに合計30万以上かかってんだぞという気持ちになる。

 

それはともかく、2019年は美容をがんばりたい。去年もがんばっていたつもりではあるけど、結局体重は落ちなかったし。今年は5キロ痩せるのと、肌をきれいにするのと、ネイルをがんばる。やっぱり自分を好きになりたいなあという気持ちがあるので、もう少し自分に自信を持てるように、美しくなりたいと思う。

今週のお題「2019年の抱負」

深夜2時過ぎ、何も言えなかった夜道

夜道を歩いていた。深夜2時過ぎ。

男友達が隣を歩いていて、車がそばを通るたびに彼はわたしを歩道側に移動させた。あまりにも当たり前のようにそれをするので、黙ってされるがままのわたし。歩道側を歩かせてくれる男性って多いけど、彼らは誰にそういうことを教わるんだろうなあ、とぼんやり考えた。

 

今はもう会わないような、むかしの男友達にもそういう人がいた。別にデートをしたとかでも、気になっているとかでもなんでもなく、単にそれは彼のポリシーのようだった。学校から駅までの道でも、彼は同じようにするのだった。当時わたしは男友達も少なかったし、そういう「女の子」みたいな扱いもあまりされたことがなかったので、世の中には本当にこういう人種がいるのだなと驚いたものだ。

彼は道半ばで別れるときに「一人で帰れる?だいじょうぶ?」などとよく言った。「大丈夫やって」と答えるものの、もしここで「一人で帰れない」って言ったら家まで送ってくれるわけ?などと思っていた。言ったことはないけど。

 

深夜2時過ぎ、冒頭の彼は家まで送ってくれるつもりらしかった。送るよ、などとは言わなかったけど、わたしも確認しなかった。でもわたしが手に持ったiPhoneのマップを頼りに歩いていた。途中でわたしを歩道側に移動させようとして、そのまま手を繋いだ。

あ、手繋ぐんだ、と思ったけど、イヤじゃなかったからそのままにしておいた。別段なにも言及せず、手を繋いだまま、どうでもいい話をした。出身地の話とか、バイトの話とか。ちょっとだけ遠回りをしたいような気持ちになったけど、夜遅かったからやめた。ここまでで大丈夫、と言って駅の近くで別れた。

あとになって「手繋いだときなんとも思わなかったの?」と言われたけど、わたしは何も言えなかった。たぶん困った(ような)顔で、うん、とか言ったかもしれない。いつもそうだ。思ってることの8割くらいは伝えないまま終わる。

 

思ったことをちゃんと言ったほうが、自分も相手もきっと幸せだ。だって相手の考えてることなんて、想像はできても答え合わせは直接聞くしかないから。想像することを怠るのはよくないけど、でも汲み取ってよ、なんて甘え過ぎだ。

たぶんわたしは自分の感情を感じることが苦手で、あとになって思ったり気づいたりすることが多くて、時差がある。それもあって、言えないことも多い。あとは言わないほうが穏便に済むかななんて流しちゃったり。

なんで怒らないの、なんてこともよく言われてきた。怒らなきゃいけない場面だなんて、気づかなかった。でもあとからモヤモヤしてたのも事実だ。

 

ちゃんと気持ちを伝えることは、自分にも、相手にも向き合うことだと思う。だから来年は、ちゃんと思ったこと考えたことを伝えられるようにしたい。感情表現が苦手だけど、ちょっとずつリハビリしていきたいな。そしてそれを受け止めてくれて、向き合ってくれるひとたちと関係を続けていきたい。

 

 

年末なのでエモ感のあることを書きつつ、来年の目標に繋げてみました。引き続きよろしくお願いします。(エモっぽいことって恋愛関連のほうが書きやすいんだよね)

2018年振り返り

今日チューターと6ヶ月分の振り返りをした。自己評価は75点、チューター評価は80点。

足りない25点ってなに?って考えたら、目の前のタスクをこなすことばかりに時間を割いてしまってて、長期的に必要なタスク(緊急ではないけど重要なこと)があんまり出来てなかったなあと。具体的に言えばお客様からの依頼ベースじゃない自主提案とかそのためのヒアリングとか、困ったときに相談してもらえる関係づくりや提案後のフォローとか。

そういう積極的な活動はなかなか出来なかったけど、頼んだことはほぼ完璧にできるし社会人としての基礎スキルはちゃんと身につけられたね、とチューターが言ってくれた。

 

2018年のスタートは国家試験の勉強だった。ほとんど人にも会わず誰ともしゃべらないような日々で、毎日重たい参考書を持って図書館と家の往復。こんなに辛いことなかなかないだろうって思ってた。

今年の目標も「国試に合格すること」にしてた。2月に国家試験を受けて、合格した。おそらく使うことのない薬剤師免許は今、部屋の壁に飾ってある。3月の時点で1年の目標は達成してしまったけど、友人がたまにお薬の相談をしてくれるのが嬉しかった。

それだけで免許をとった価値がある。

 

4月から東京で仕事を始めた。初めての土地で、それでも元気に楽しく過ごせてこれたのは毎日面倒を見てくれるチューター、一緒にがんばってる同期、なんでも教えてくれる先輩たち、飲みに行ったり遊びに行ったりしてくれる友人たちのおかげだなあと心底思う。

就職したときも、仕事を始めたときも、まさか自分が営業をするとは思ってなかった。営業職は自分に合っているとも向いているとも思わないし、よくできるとも思わない。だけど学ぶことが多くて、楽しい。

たまに夜寝ていてちょっと眠りが浅くなった瞬間に仕事のことを考えている(お客様の名前とか会社名とか、メニューの名前とかが頭の中に浮かぶ)ことがあって、わたしって思ったより仕事のことばっかり考えてるし好きなんだなあと思う。

 

プライベートで辛いことがあっても仕事をしている間は忘れられるし、夢中になれる。仕事があるから頑張れるし、ほんっとーに仕事に救われてる部分が大きい。しかも幸いなことに、仕事はやれば評価もしてもらえる。1年目だから無理そうなバジェットも与えられていないし、いろんなひとがサポートしてくれて、認めてくれて。

ありがたいことです。仕事も職場の人も大好き。

 

東京で友達もたくさんできて、それもとても嬉しい。みんなだいすき。

与えてもらってばっかりだからたくさん返せるように、がんばりたいなー。今年も恋愛だけはうまくいかなかったので、それも来年はがんばりたい。まぁ失敗も含めていろいろと学ぶことの多い1年でした。周りのひとのおかげ!

わたしのサンタさん

25歳、就職で上京するまでずっと実家に住んでいた。その間、バンクーバーに住んだり祖父母宅に住んだりしたこともあったけど、基本的にはずっと京都市のちょっと外れで過ごした。

小学校から私立に入学したので近所に友達は住んでいなくて(それでなくても子どもが少ないところだった)、小さい頃はお稽古ごとに通ったり、家でお絵かきをしたり本を読んだりして過ごしていた。

2つ年下の妹がいた。妹はわがままで、一人では何もできない子だった。よくケンカもしたし、反抗期には無視され続けていたときもある。でも基本的には仲良くしていた。


わたしが中学生になった年のクリスマス、母はわたしを連れてクリスマスプレゼントを買いに行った。妹のためのゲームソフトだ。「あの子はまだサンタさん信じてるのかなあ。幼いなあ」と言いながらどこか嬉しそうな母。いま思えばいつまでも子どもでいて欲しかったのだろう。子どもらしく振る舞うのも親孝行だと、24歳になった妹は言うけれど、それもまた真実だと思う。妹がサンタクロースを信じていると思いながら、なぜわたしはもうサンタさんの真実に気づいていると思っているのだろう、と13歳のわたしは思っていた。

f:id:chikanism:20181222001643j:plain

 

当然わかってはいたけど思わぬ形でネタバレをされたクリスマス、それでも朝起きたらわたしの部屋の入り口にはクリスマスプレゼントが置かれていた。妹が喜んでいるので、わたしも何も知らないフリをした。

その後も、何年経っても、クリスマスの朝は起きたらプレゼントが置かれていた。大きくなって寝る時間も遅くなったし、母が夜寝る前にセットするのでは気が付きそうなものなのに、いつも朝まで全く気が付かないのだ。

 

それはわたしが23歳になるまで続いた。「クリスマスにこれ買って!」などと、大人になってからもクリスマスにはちょっと高いコスメやシャンプーなどをねだってはいたものの、クリスマスの朝にはしっかりそれとは別のプレゼントが置かれていた。サンタさんはいたのだ。

24歳、バンクーバーで過ごしたときはさすがにサンタさんは来てくれなかった。25歳、祖父母のマンションに住んでいたときは、大学から帰ってきたら大きな紙袋が置かれていた。わたしは迷わず母にLINEした。

 

でももう、東京の一人暮らしのマンションだ。サンタさんがくるはずはない。

いつまでもわたしのサンタさんでいてくれた母が近くにいないことを、久々に寂しく思った。(クリスマスはまだだけど)

 

せっかくなのでカナダのクリスマスの記事も見てください! 

www.chikanism.com

 

 

産業医ラボ.com

この瞬間が永遠に続くか、そうでなければ人生が終わってしまえばいい

いまこの瞬間に死んでしまいたい、そう思ったことがある。大好きなバンドのライブの最中、一番好きな曲のイントロが流れてきた瞬間。

狭いライブハウスの真ん中前寄り、前の曲が終わって一瞬世界が暗くなる。赤や緑の照明がチラついて、興奮でファンが前に押し寄せた。噎せ返るような熱気と、ちょっと籠もった汗の匂い。

その真ん中で、ギターのイントロを聞きながら、間違いなくわたしは、この瞬間が永遠に続くか、そうでなければ人生が終わってしまえばいいと願っていた。

 

何度ライブに足を運んでも同じ現象が起きた。毎日同じことの繰り返しのつまらない高校生活の中で、ライブは単に癒やしとかではなく生きがいだった。会場は戦場でもあった。(ライブに行かなくなった今の生きがいってなんだろ、仕事かなあ)

他のバンギャル友達に聞いたことはないのでこう思っていたのがわたしだけなのかどうかわからないけど、少なくともわたしは毎回そう思っていた。

でも時間が止まるわけはなくて、終わらないで欲しいと思えば思うほどあっさり過ぎていくような気がした。

 

 

不思議なことに、バンギャルを卒業してK-POPアイドルにハマったときは、これほどではなく、時間が止まって欲しいと思うことはあっても死にたいと思うことはなかった。あれはのライブハウスの、妙な密室の中だったからかもしれない。メンバーにも近かったしファンとの一体感も生身で感じられて、あのときの興奮は確かに、アイドルのコンサートでは感じられない。

今となってはK-POPアイドルのファンも卒業してしまったが、まぁ人生においてあそこまでの興奮を感じることはほとんどない。仕事でドキドキすることやワクワクすること、いわゆる興奮することはあるものの、それはあのときのそれとはまた別のものだ。どちらかと言えば未来への興奮なので、今死ぬわけにはいかないという感覚に近い。

 

なんだったんだろう、あのときの感覚。もう二度と味わうことはないかもしれない。