Chikanism

現実と非現実のあいだ

さよならなんて言わないで

僕が愛を信じても きっといなくなるんだろ?

それならいらない 哀しすぎるから

 菅田将暉が歌うさよならエレジー

先週の月曜日、なんとなくSpotifyでプレイリストを流していて初めて知った。2018年の曲なので、それまで聴いたこともなかったなんて、どんだけ疎いんだと笑われそうだ。

バンギャルを辞めてから邦楽をほとんど聴かなくなったのだけど、この曲はなんとなくメロディが好きだなと思って聴いていたら、歌詞も心に刺さった。

芸能に疎いので菅田将暉のことはauのCMの人というくらいの認識しかなく、歌を歌っているということに驚いた。

この曲はなんかのドラマの主題歌らしいのだけど、そのドラマも1ミリも知らないので、先入観がないのもより良いのかも。

 

そばにいるだけで 本当幸せだったな

そばにいるだけで ただそれだけでさ

という部分があるのだけど、この部分の「本当」が「ほんと」に聞こえるので、ああほんとにそうだったんだろうなあ、となんとなく思った。

 

さようならさえも 上手く言えなそうだから

手をふるかわりに 抱きしめてみたよ

ここもさ抜き言葉になっているところがほんとっぽいというか、切羽詰まった感じが伝わってくるような気がして、とても好きだ。

余裕がない感じの、すごく好きだったんだなという感じの曲が好きだ。だってリアルだから。そのほうが感情移入できる。

ちょうど大事な人との別れのようなものが過ぎたばっかりだからかもしれない。

 

ムックの気化熱という曲に

笑えないくらい 本当にすべてが君だけでした

いつかまた会えるその日まで さよなら

っていうフレーズがあって、これも「笑えないくらい」っていう表現の切羽詰まっている感じがすごく好きだ。

なんのマンガかわからないけど少女漫画で主人公が「余裕なんていつもない。ギリギリまで君が好き」ってセリフを言うんだけど、これもセリフだけ覚えているくらいすごく好きで、なんかこう恋愛のなかの余裕のない感情がいいなぁと思う。

実際に自分も余裕がないからかもしれない。

 

結局駆け引きしたり余裕ぶって相手を振り回したりするような感情は、本当に相手のことを思ってるんだろうかと疑ってしまうし、余裕なくて切羽詰まってるくらいが良い気がする。個人の価値観だけど。

 

だから久々に見た菅田将暉と、彼の歌う切羽詰まった曲、とても良いなあ。久々にいろいろ考えて、飽きるくらいずっとリピートしている。

 

今週のお題「わたしの好きな歌」

2019年が半分終わった

いろいろ考えることがたくさんあった6月だった。

そしてこれはまた別途書きますが、個人的に大きな決断をしました。いつかくると思っていたけど実感は湧いていなかったことが、本当に現実になった。

 

2019年が半分終わってしまうことに悲しみと驚きを抱きつつ、この半年でできたことってなんなんだろうなあと思っています。

 

3月にチューターが退職して、不安しかなかった。いろんな先輩が心配してくれて面倒を見てくれたけれど、自分でも思った以上に元気にやれている。し、なんだか結果がついてくるようになった。

チューターは「特別に先輩期間を3年まで延長してあげる」と言ってくれた。連絡はとっていたけど結局まだ辞めてから1回も会ってなくて、来週やっと会う。

 

先輩がいなくてもちゃんとわたし頑張れてますよ、たぶんわたしはそう言える。狙った案件が受注できたり、お客さんとのやり取りがうまくできたり。運良く問い合わせをもらえたり、知人が紹介をしてくれたり。

うまくいかないこともあったけど、新しいチームのリーダーに話したら、彼はわたしの性格を考慮した接し方をしてくれた。そのおかげでやりやすいことも多かった。

 

それに、離れて初めてわかったことだけど、わたしはチューターの存在がプレッシャーで、逆に動きにくくなっていた。わたしの行動や考えを見ていて色々言ってく(れ)る存在はありがたいけどプレッシャーでもあり、いつも正解を見つけなきゃいけないと思ってしまって、自分の中での正解を見つけるまでに時間がかかっていた。むしろチューターが100%の正解だったので、彼がイエスと言ってくれる正解を探そうとしていた気もする。

今は細かく見ている人はいないので、相談する相手もいないけど、むしろ試行錯誤ができるようになった。

 

まだまだできることはたくさんあるし、営業として活動する中で、「わたしだから受注できた」案件ってほとんどないなあという感想が強い。相談してくれる人も、連絡してくれる人もいるし、だけどきっとわたしじゃなくてもできることなんだろうな。

でも逆に、営業としてのスキルが特別わるわけじゃないわたしでもある程度は一般的なスキルや行動量で結果をカバーできるんだなと感じた。

 

2019年、残りの半分はもっと激動になると思う。懲りずにもっともっとガシガシ動いていきたい。最近また誰かに会いたい欲が高まってきたので、とりあえず7月は色んな人に会う時期にしたいと思います!

 

今週のお題「2019年上半期」

平成最後と令和最初

「新しい元号発表されたね」「今日も記念日だよね」「今日が平成最後のエイプリフールだよ」

平成31年4月1日の仕事終わり、会社のビルの近くにあるラーメン屋さんで同期と話した。「今ならまだ平成のうちに結婚するってのも間に合うかもよ」などと笑って言った。

 

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あれから約一カ月、ちょうど2日前に元号は平成から令和に変わった。わたしは自室にいて、なんなら微熱で寝込んでいた。

日付が変わったって、なにもかわらない。平成のときと同じ速さで時計の針は進む。わたしの中身も外見も、急に大人になったりはしなかった。

 

 

令和になってすぐ、ゴールデンウィークの半ばに実家に帰ってきた。正確には、大学時代の後半を過ごした祖父母の家だ。

手を洗おうと思って洗面所に行くと、平成29年のわたしが大量に貼った、薬剤師国家試験の対策用のメモがまだ壁に貼られていた。

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お風呂あがりに髪を乾かしながらとか、トイレとか、化粧水を塗りながらとか、ついでにスクワットをしながら眺めていた。たまには呟いたり。

ここで毎日を過ごしていたのももう2年も前で、東京からここまでの道のりだけでも変わったところはたくさんあって、知らない店も建物も色々あった。あの頃と同じではないことを思い知らされた。元号が変わったって何も変わらないはずだったのに。

 

 

明日は久々の友人と会う。行き先について決めていたら、「先に報告なんだけど、実は結婚することになりました!平成最後のプロポーズでした(笑)」と彼女からメッセージが届いた。

インスタグラムを見ていたら、仲良かった子が「令和1日目に入籍しました」と投稿していた。

26-27歳って結婚ラッシュだなと思っていたけれど、「平成最後の日」や「令和最初の日」の報告の数を見て、そしてついに親友と呼べる人の結婚報告を受け、元号が変わることが人生の大きな節目に相応しい大きな出来事だったんだなとようやく実感した。

 

昨日と今日、今日と明日、大きく変わらない。同じはずの日々を積み重ねて、あの頃とは大きく違う今がある。

元号が変わっても何も変わらなくて、でも大きく違う。そういう節目をハッピーな雰囲気で迎えられて良かったんだと思う。わたしが「平和のときもさぁ、」と言って「平成でしょ。令和とごっちゃになってるじゃん」と、いつもボケ役の同期に笑われた平成31年の4月1日を思い出した。平和な時代になりますように。

嫌いになったことも忘れてたよ

昔付き合っていた人が、セブンイレブンでバイトしていた。深夜バイトだ。

夜の11時ごろから始まって、朝6時に終わる。深夜2時ごろが休憩だった。

わたしはよく2時ごろまで起きていて、彼へ連絡をしていた。休憩時間じゃなくても、暇なときはたまに連絡をくれた。

 

別れてからセブンイレブンは嫌いになった。

「財布に32円しかない〜」と言ったときは、「これしかないけどこれあげる」と、セブンイレブンのくじのお菓子か何かの当たり券をくれた。家に遊びに行ったときは「ここだよ」とバイト先を教えてくれた。ギャンブルばかりしていつもギリギリの生活を送っている店長の話をよく聞いた。

 

「元彼がバイトしてたところだからセブンはあんまり好きじゃないんだよね」と電話越しに研究室の同期と話しながら、住んでたマンションの向かいのセブンイレブンにアイスを買いに行ったことがあった。

研究室の同期の男の子は翌日までの資料を作りながら、「そうなんだ」と笑っていた。

 

 

「コンビニのなかではセブンがダントツで好き」と誰かが言った。わたしはコンビニにこだわりがないから「そんなどこも変わらないけどな〜」と答えた。

元彼がセブンイレブンでバイトしててよく休憩中に連絡してたから、別れてから嫌いになったなんて、嫌いになったことさえすっかり忘れていた。

 

いま住んでいるマンションの近くにセブンイレブンがある。ローソンもある。どっちでもいいのだけど、ふとセブンイレブンに行った。雑誌を買うか迷って、アイスを見て、何も買わずに出た。

家までの道を歩きながら、そういえば「セブンはあんまり好きじゃない」なんて電話で話しながらアイスを買って帰った日があったことを思い出した。

 

 

本当は別に嫌いじゃなかったけど、思い出してしまうからなんとなく避けたかっただけ。だと思う。

好きだったことさえも忘れるくらいだから、嫌いだと思っていたこともすっかり忘れていた。人生ってそんなもんなんだな、と思える回数が増えた。忘れたくないと思ったことも忘れるし、忘れたいと思ってたこと自体も忘れてしまうものだ。

 

こういうことをたくさん思い出すようになったから、わたしの人生もそろそろ次のステージに行くのかな、なんて考えた。わたしたちは同じ場所にはいられなくて、ずっと流されて生きていくんだな、とか。

思い出さなくてもいいことを思い出さなくなる日が来るのかな

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夜桜を見に行こう、と約束して見に行ったのはもう何年も前のことだ。

本当は昼のお花見が良かったけれど、当時は大学のサークル(のようなもの)が忙しくて時間がとれなかった。

 

サークルが一緒だった彼とは、何回かデートをして、手を繋いで歩いてはいたものの、付き合ってはいなかった。男の人と手を繋いだのは、その人が初めてだった。

その日は4月7日で、嵐山の夜桜を見ようと約束して、ふたりでサークル活動の拠点であるオフィスを出た。

1時間半くらいかけて嵐山まで行ったものの、あまりライトアップのようなものはなく、がっかりしながらお蕎麦を食べた。今からでも行ける場所を探して、二条城のライトアップへ行くことにした。

電車を乗り換えて少し歩いてたどり着いた二条城は、人がたくさんいた。観光シーズンだ。

その日は4月と言っても夜は肌寒かった。なんとなく敷地内を歩いて、お堀の川を眺めていた。

川(池)を泳ぐ鯉の話をしていたのを覚えている。とてつもなくどうでもいい話だ。鯉は寝ているとき何を考えているんだろうね、みたいな。話題なんてなんでも良かった。

寒いから移動しようかなと思ったものの、彼がその場から動こうとしないので、わたしもなんとなく隣に立って、どうでもいい話を続けた。

 

後からわかったことは、彼はそこで告白するタイミングを考えていたらしかった。帰り道、わたしは「寒かった!」と文句まで言った。ごめんね、と彼は言って、手を繋いで帰った。

 

 

もうあれから何年も経つ。大学もとっくに卒業して、連絡もまったくとっていないし最後に会ったのがいつかもわからない。すごく好きだと思っていたことさえも、時間が経てば忘れられるものなんだなと、今になってそれはわかった。

どうでもいいただの思い出のひとつとして思い出せるようになったのはなんだかんだ最近のことだ。良い別れをしなかったので、彼のことはたぶんつい最近まで思い出したくもなかったように思う。

 

平穏な気持ちで思い出せるようになったのは時間のおかげだし、たぶんわたしも大人になったのだろう。

夜桜の話をしても思い出さなくなる日も来るのだろうか。それさえももう、どうでもいいことだけれども。

 

今週のお題「桜」

たくさんの瞬間を更新して

大好きな先輩と飲みに行ったら、彼は話の中で「人生で一番楽しかった時期っていつ?」と聞いた。

わたしはちょっとだけ今までの人生を振り返ってみたけど、悩む間も無く「今ですね」と答えた。

先輩は驚いたようで「今なの?それすごいなぁ」と言う。すごいんだろうか。いつだって今が一番だ。

 

先輩にとってはたぶん今が一番じゃないんだろう。前職のときかな、大学時代?もしくは高校生とか。

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人生をやり直して違う選択をしたいと思ったことはたくさんある。でも、ただ同じ人生を繰り返すだけなら、もうやらなくていい。この人生は一度でじゅうぶんだ。

中学も高校も大学も、もう二度とやりたくない。家族と一緒に住むのは、もう一度やってみたいかもしれない。

 

 

もちろん戻りたい一瞬一瞬はたくさんある。忘れたくない瞬間、ときを止めてしまいたかった。何度も何度も思い出して、色褪せてしまいそうな。

たとえば親友とくだらない話をしながら高校から駅まで歩いた帰り道、機嫌損ねて怒られることも多かった妹との旅行、初めての彼氏との初めてのドライブデート、学部の友達とドラマのモノマネして笑い転げた旅先のホテル、初めて案件を受注した日の高揚感、好きな人と手を繋いで歩いた深夜の交差点、朝起きたら繋ぎっぱなしだった通話から聞こえてきた彼の寝息。

 

そういう数々も、更新されていくんだろうな。だって今が一番楽しいし、戻りたいくらいの瞬間はきっとすごい速さで過ぎていく。

でもそういうたくさんでわたしはできてるからな、やっぱり今が一番だよ。

 

星になる

大学のクラスメイトが亡くなった。

朝まで職場の同期と飲んで、家に帰って暖房をガンガン効かせた部屋でうとうとしていると、友人から連絡が入った。「昨日の夜、○○くんが亡くなったそうです」スマホに映し出されたその文字は何度読み返しても信じられず、彼は今どこに住んでいたっけ、とただぼんやり考えた。

友人が送ってくれた地元のオンライン新聞のスクリーンショットには、26歳の薬剤師の男性がトラックにはねられて死亡したと書いてあった。26歳薬剤師、その言葉の重みでやっと現実なんだなと思った。

彼とは別段仲良かったわけではない。でも名簿が近くて、クラスも同じで、わたしのことをちかちゃんと呼ぶ数少ないクラスメイトだった。

 

身近な人が亡くなった記憶がない。父方の祖父母は、わたしが物心もつかないうちに亡くなっていた。わたしが大切な人の死を恐れるきっかけになったのは、高校生の頃大好きだったバンドのボーカルが亡くなったことだった。新聞の報道では薬のオーバードーズとアルコール摂取が原因の自殺と書かれていて、そんなわけないと強く思ったけど、真相なんてわかるはずもなかった。

 

ちょうどその頃、「流れ星が消えないうちに」という本を読んだ。加地君という男の子が亡くなって、その彼女と友人が、彼の存在を忘れないまま少しずつ前を向いていくような話だった。

 

誰かの死は、本当にすぐそこにあることだ。誰かの死を目の当たりにするたび、当たり前の日常が今日も明日も明後日もずっと続くわけがないことを思い知る。なのにいつまでも続くように錯覚している。

誰かに優しくするのも優しくされるのも、そんなの生きているからだ。わたしたちの考えるすべてのことは、生きている前提だ。

 

亡くなった彼と最後に会ったのは、彼らの卒業式の日のパーティーのときだ。わたしは卒業が遅かったので卒業はしなかったけど、パーティーには参加させてもらった。どんな会話をしたかなんて覚えてない。またね、と言って別れたかどうかも定かではない。

すごく仲良かったわけじゃないから、またねと言っても本当はもう会わないかもしれないとどこかで思っていたけど、その「会わない」がこういう形になるとは思っていなかった。だって会おうと思っても、もう絶対に会えないのだ。

 

今日と同じ明日がくることが当たり前じゃないって、本当にそうなんだ。やりたいことはやるべきで、伝えたいことは伝えるべきで、大切にすべき人を大切にしなきゃいけない。

 

 

流れ星が消えないうちに (新潮文庫)

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